2011/04/09
ただの箱状態
一ヶ月経ちますね、そうですね。日々の生活が激変した人、そうでない人、さまざまいるだろうと思います。自分は少し変わったといいたいところだけれども、実は後に控えている激変と、その前から突発的に大激動状態なので、それそのものでの影響は結構少なかったりします。うーん。
ところであの日から、将来しばらく先まで、少なくとも自分の身近ではどうしようもなくなった代物が。
ある意味どうでもいいことや、役立つかどうかもわからないような中身を、日々脳内から適当に垂れ流しまくりつつ、今日をなんとか生き存えることを思案してます。
2011/04/09
ところであの日から、将来しばらく先まで、少なくとも自分の身近ではどうしようもなくなった代物が。
この画像はどこかというと、秋葉原駅です。場所は中央改札口のなか。
そこで何か思い当たった人もいるかもしれません。この画像、改札内すぐのところにある、柱の各4面にデジタルサイネージ用液晶が設置された場所だったり。
消費電力削減のために止められているシロモノ。
こうなるとただの箱。どうしようもない黒いガラス面でしかない。コンビニその他諸々、そこかしこでこれら物体が無駄になってしまっているわけで。
電気消費を前提にしているものは、その根本たるものがなくなると脆い。脆くてしょーがない。まさに無駄。
もちろん影響があるのは関東・東北にはなりますが、日本国内でおそらくもっともテストケースが進んでいたと思われるデジタルサイネージが利用されなくなること、消費電力削減がなぜか全国的に飛び火していること(無関係なはずの他の地区でも、今回の件にかこつけて、節電という名の経費削減に励んでいるという……)などを考慮すると、ここで一旦、デジタルサイネージの普及は止まるんじゃないかと予想してます。
場合によってはデジタルサイネージ自体の終焉かもしれない。しばらく、おそらく数年以上は、どれだけ電力削減できるか、が購入のカギとなると思われますし、逆を返せば「電力消費の激しいものは敬遠されることになるだろう」、と。デメリットの発覚と敬遠の結果、不要論が発生することになり、そして……という流れ。
こういうとき、印刷や輸送の手間がかかったとしても、印刷されたモノのほうが強みを発揮できる。一度掲示してしまえば、よどほの破損や色褪せがない限りは電力は一切かからない。また、自分の好きなタイミングで見ることができるので、告知したい内容が伝えたい人にしっかり伝わる。
ともあれ、とりあえずこの黒い板がそのままだともったいないので、何か宣伝用ポスターとかでも貼ったほうがいいんじゃないの? と思います。将来的にどうなるかはわからないけれども、ケース・バイ・ケースによる使い分けは大事。だってその場所、もったいないじゃない。せっかくの物理的空間・面積があるんだから、有効活用しましょうよ。
■翌朝若干修正・追記。
コメント